意地を張るか、コロコロ変わるか、いつものこと。何が起こっても驚かないが、安保法制でも大騒ぎの国会を収束するには、橋下カードは、火に油を注ぐか、時限爆弾を抱えることになるから、民間閣僚入りは、結構ハードルが高い。だからこそ、高く売るための橋下マッチョ戦略は必要不可欠。閣僚入りが悲願だが、ダメなら市長、もしくは知事選再出馬もあるかも知れん。
一寸先は闇の政界
“政界引退”予定の橋下徹が「関西維新の会」立ち上げでどうなるの?
「いつでも関西で国政政党を作れるようにしたい」
橋下氏が宣言したのは、7月4日のこと。得意とするネットでの「つぶやき」ではなく、「大阪維新の会」の非公式会合で、100人を前に堂々「関西維新の会」の9月立ち上げをぶち上げたのだ。
橋下氏は、5月17日に「大阪都構想」の住民投票が否決に終わったことで、市長職の任期が満了する今年12月で政界から引退すると宣言していたハズだ。
ウソつきは舌が抜かれるものだが、1枚目の舌はすでに07年に抜かれていた。それは「2万%ない」と明言しながら、大阪府知事選に出馬した時のこと。
政治部記者が解説する。
「昨年末の衆院選で、市長から衆院議員への鞍替え出馬を目指しました。出馬予定の小選挙区に政党支部まで作ったのです。この手続きまで済ませれば、政界では『出馬宣言』も同様です」
だが橋下氏は最後まで出馬について言葉を濁しながら、鞍替えを取りやめた。今回3枚目となる引退撤回。その動機は「大阪市役所」に対する“復讐心”だという。市長就任時に橋下氏から、
「俺が市長に当選した。俺が民意の全てだ。だから逆らうな。嫌なら辞めろ」
とかみつかれた、大阪市役所本庁市長部局に勤めるA係長(35)が証言する。
「やたらと民間企業を意識していて、市長就任後に市職員は全員“数字作り”を命じられました。行政とは数字では測れない何かをくみ取るものです。民間と同じようにはいきません」
行政マンである公務員はこれに反感を持ち、少なくない職員が大阪市役所を後にしたという。
橋下氏は「都構想」の他に「生活保護受給世帯削減」を看板政策として掲げていた。数字作りは市行政全般に命じられたが、「生活保護」については特に厳しい数字作りが要求された。
具体的には「生活保護受給費の削減」と「受付面接件数の増加」の2項目について、無理難題に近い目標設定が与えられたのだ。その結果を明かすのは、大阪市役所のある課長代理だ。
「受付面接については、とにかく数をこなす。削減するために、個々の受給者の生活ぶりなど考慮せず、生活保護を打ち切る。こうして数字を作りました」
ちなみに今年度、大阪市各区の生活保護担当係長は、全員、自宅から遠い区役所で専門外の職種に配置換えされている。
「数字を達成できなかった職員は、そのグループ全体が左遷されました。ひどい見せしめ人事です。こうした恐怖政治が蔓延していたのです」(前出・A氏)
「都構想」の住民投票で特に反対票が多かった地域は、西成区など生活保護受給者数が多い区だった。この原因は、市職員の橋下氏に対する怨嗟の念だったという。絶対匿名を条件に、ある市職員が明かす。
「否決に追い込むために、ケースワーカーの人たちが生活保護受給者ひとりひとりに『大阪都になれば生活保護が打ち切られる』と言って、受給者の危機感をあおって回ったのです」
もちろん、この動きは橋下氏の知るところになった。そこに6月14日の安倍晋三総理(60)との会談が行われ、「都構想」実現の可能性が急浮上したという。
「総理は橋下さんに、国政への転身を強く勧めた。この日を境に、橋下さんは政治的発言を復活させたのです。『都構想』はとどのつまり、大阪市役所解体。憲法改正で自民に協力して、代わりに地方行政の改革法作成への協力をお願いするのでは。国政から二重行政を禁止する『新都構想』法を成立させようと考えているようです」(前出・政治部記者)
6月19日には“最後”とされた政治資金パーティを開き、2日前の産経新聞に掲載された自民党大阪市議の「(市長が)息を吹き返した」という発言に、
「死んでねぇっちゅうの!」
と雄たけびを上げた橋下氏。もはや閻魔大王の手がしびれるほど、その舌は増殖しているようだ。
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