広瀬隆氏をはじめ、いわゆる反原発論者と左翼が結びつくイメージが払拭できず、
あの安保闘争と同様、大多数の一般市民から隔絶させられる傾向性があった。
いわゆる、反原発を叫べば「アカ」とレッテルを貼られるというのが、電力会社を始め、
マスコミの思い通りであった。
いまでこそ、広瀬隆氏の言論がまともに、聞こえるが、原発安全神話が浸透しているときには、彼の本もトンデモ本扱いであったことは誰しもが認めるところであろうと思う。
しかし、事実は、違った。広瀬隆氏は、的確なデータ分析に基づいて、福島原発を始め、日本の原発54基がまさに、世界一の地震大国の日本の中に密集させれていることを、ずっと指摘していたのである。
そして、もう一方、公明党の支援組織でもある創価学会もまた、世間からは、忌み嫌われ疎んじられる傾向があるが、この組織も戦後、一貫して核廃絶を唱えてきたことは、あまり知られていない。
世界各国で「核の脅威展」を行い、しかも、核大国であるソ連や米国でも行ったというのは、驚嘆に値する。その池田氏がフランスのルネ・ユイグ氏との対談の中で、原子力発電所の問題点について、指摘をしているとのブログを発見した。氏の考えは「原子力発電所は中止すべき」との考えだ。以下、転載させていただく。
先日の朝日新聞では、脱とも推進とも言わない自民党、公明党への懸念記事が載っていたが、公明党は、少なくとも核廃絶を進めていると聞いておるので、決断はいの一番にできるはずなのだが、政治の世界は、スムーズに「イカンざき」ということなのだろうか?(笑)
共産党や社民党のようなご都合主義で反原発を叫んでいるのとは違う、より現実的な方法で自民党や公明党は、シフトをはかってもらいたい。福島原発がこれから事故収束まで最低でも10年、その後も、処理に数十年。核廃棄物が無害化するまで、10万年かかることを思うと、もう日本に原発は要らないと私は思う。国民の大多数が豊かで贅沢なエネルギー消費の社会よりも、まずは、命が守られる心ある社会を望んでいるのではなかろうか。
shishinokoさんのブログ
http://amba.to/mzGcVL
2011-06-25 11:01:00
「原発について」公明党創立者池田大作氏。ルネ・ユイグ氏(フランス)との対談にて(1981年)
テーマ:ブログ公明党創立者池田大作氏とフランスの世界的美術史家ルネ・ユイグ氏との対談『闇は暁を求めて』(講談社版、1981年10月発行。聖教新聞社版「全集」第5巻収録、1989年5
月発行。)より。
さて、石油の枯渇にそなえて、それに代わるエネルギー資源が現在探求されていますが、その第一候補と目されているのが核エネルギー、原子力エネルギーです。これについては、あなたのお国のフランスでも、相当、力を入れていると聞いています。しかし、原子力エネルギーは、石油の場合よりもずっと恐るべき汚染をひきおこす危険があります。私がここで提起したい問題は、人類は今後ますます大量のエネルギー資源を必要とすると考えることが正しいかどうかという点です。
物質的欲望の追求を正しいと認める観点に立てば、これは正しいというべきでしょう。しかし、もし、この大前提から問い直すならば、エネルギー消費も減少の方向に向かうことが可能であるかもしれないのです。そうしたエネルギー消費の減少をめざしたうえで、汚染を生ぜず、しかも枯渇しないエネルギー開発に取り組むべきだと思います。
(講談社版44ペ-ジ)
私は、資源全般の消費に対する考え方の転換が全人類に徹底されなければならないと訴えるとともに、とくに原子力エネルギーの問題は、過去に人類がぶつかってきたいかなる問題とも質を異にしていることに気づくべきだといいたいのです。つまり、蓄積されている量がある限界まで達しなければ無害か、有害であっても致命的ではないのが、核以外の物質の汚染でした。
ところが、原子力エネルギーの廃棄物の場合は、それがどんなに少量であろうと、かならず致命的な害を及ぼします。
その意味で、原子力エネルギーの開発と実用化は、その目的がたとえ平和利用であっても、慎重に考慮すべきであると考えます。
そして、もし、絶対的に、永久的に安全な、廃棄物の処理法が発見されれば、そのとき初めて利用を再開してもよいと思います。しかし、それまでは、いったん中止しても、危険な廃棄物を生じないエネルギー資源の開発、循環可能で枯渇の恐れのないエネルギー資源の開発に、現代科学の総力を傾注して取り組むべきである。
(講談社版53ペ-ジ)
2 件のコメント:
大白蓮華発表された文章のほうが、原発中止をストレートに表現されています。
「闇は暁を求めて」 1981年3月
ルネ・ユイグ/池田大作 対談
http://kaku.happy-net.jp/
おお!なるほど、紹介させていただきます。でも、なぜ?ッ創価学会は、池田氏の重要な発言を公にしないのだろうかね。勿体無い気がします。
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