2011年7月26日火曜日

橋下知事の4年間って、何だったのだろうか? ただ騒がしかっただけ。

知事をやめて、市長になるという橋下知事。
新聞は、阿呆のように、一面記事に載せているが、前にも言ってたような。
揃いも揃って、選択眼のない、横並び新聞どもと思っていたが、果たして、橋下知事というのは、府民のために何をやってくれたのか?
まったく思いつかぬ。
勢いがあって、既存勢力に挑戦し、新しい風を起こした。
恐らく皆そう答えるかもしれないが、ん?
中身がどうも思い浮かばない。

今日の毎日新聞を見ると、本人も認めているように、借金は膨らみつづけているらしい。
ん?連続黒字って言ってなかったか?
どうも、企業の黒字と行政の黒字は違うらしい。
そういう一般人のあずかり知らぬことを橋下知事とマスコミは利用したようだ。
まるで、一億国民がこの40年以上にわたって騙されてきた「原子力発電安全神話」のミニバージョンのようだ。
橋下知事も、大阪市側からの指摘を受けて、しぶしぶ、借金の増大を認めたようだが、おいおい。偉そうに、大阪府の改革は終わった、財政再建の道筋ができた、今度は、大阪市の役人のクビを斬って、大阪市の改革に乗り出すと言っていたのは何だったのだろうか?
結局、大阪府の財政再建なぞ、できていない。
最初は、威勢の良かった役人との対決も、その後とんと聞かないどころか、最近は府職員をベタ褒め、さらに、大阪都構想とかいうやつの基本プランを役人に書かせているとか。

だんだん、中田前横浜市長、東国原前宮崎県知事に似てきたなぁ。ネームバリューはあっても、結局、行政手腕はなかったということだ。
大阪市長にこのままトンズラさせてもいいのだろうか?
あと4年大阪府知事をやらせても、大阪府の破綻を早めるだけのような気がするし。
とっとと、やしきたかじんのそこまで言って委員会のレギュラーにお戻りになることをオススメする。
それが、大阪市民、大阪府民のためであることを、心あるジャーナリストは、書いてももらいたい。
ただ、どうしようもないレベルの国ならば、まだ受け入れ体制があるかもだが。


毎日新聞より
http://mainichi.jp/kansai/news/20110726ddf041010024000c.html


大阪府・市:台所事情なじり合い ダブル選にらみ 橋下知事、平松市長

 ◇橋下知事「借金額、政令市で最悪」

 ◇平松市長「府は悪化、言い訳多い」

 大阪府の橋下徹知事と大阪市の平松邦夫市長が互いの財政状況を巡り、論争を繰り広げている。昨年春ごろから始まり、最近はホームページ(HP)上で互いの借金体質を批判し合うなど過熱気味。府、市ともに財政事情は厳しいのが実情だが、秋に予定される知事、大阪市長のダブル選を控え、意地のぶつかり合いはまだまだ続きそうだ。【小林慎、佐藤慶】
 「大阪市が抱えている莫大(ばくだい)な借金を消す案を考えている」。引き金は昨年4月28日、橋下知事が定例会見で口走った言葉だった。橋下知事は府と市を解体する「大阪都構想」を掲げ、市営地下鉄の民営化など持論の市政改革論をぶった。一方、平松市長は2日後、定例会見で反撃。市債残高は年々減少している一方、府債残高は増加しているとのグラフを示し、「府の財政の方が深刻。市の資産で自らの借金解消を狙っている」と非難した。
 その後も論争はテレビやツイッターなどで続いた。今年5月、府がHP上で「借金残高には交付税の不足分を借金として背負わされた臨時財政対策債などが含まれており、総額で比較するのはまったく意味がない」「市の1人あたりの借金額が政令市で最も高い」などと批判したことでヒートアップ。橋下知事は会見で「市が借金を積み重ねてきたのは、府民全体で負担させてもいいようなこと(広域行政)までやってきたからではないか」と述べ、広域行政の一元化をうたう都構想の正当性を強調した。
 これに対し、市側は6月、自治体の歳出に占める借金返済額の割合を示す実質公債費比率の比較をHP上に掲載。市が年々改善して09年度で10・4%なのに対し、府は悪化して17・2%になっていることを突きつけた。
 一方の橋下知事は今月12日、HP上で府の悪化は「過去の借金額の影響を受けているため」と主張。「府も市も多額の借金を抱えている。批判し合っても府民・市民はシラケてしまう」と休戦を呼びかけたが、平松市長は14日の会見で「市が改善し、府が悪化しているのは事実。府のHPは文字がめちゃくちゃ多い。それだけ言い訳しないといけないのか」と皮肉った。
 ただ、市はこのままいけば14年度に基金が底を突き、収支不足が生じる見込み。府も年170億~490億円の収支改善が求められるなど、苦しい台所事情が続く。

 ◇話が偏りすぎだ

 澤井勝・奈良女子大名誉教授(地方財政論)は「議論に意味がないとは思わないが、両首長とも、借金減らしの話に偏りすぎているのでは」と疑問を投げ掛ける。「むしろ、税金がうまく住民のために活用されているかを議論したり、地方交付税の確保に向けて連携して国に働き掛けたりする方が意味があると思う」と提言している。

今、福島で起きていることを何とかすべき

菅さんが脱原発解散するかも?とか、早く退陣せえとか、一体、国会議員は、何を国会でやっとるんだろうか?
国会というところは、確か立法機関のはずだよね。
次の政権の段取りや、選挙の準備をするところではないはずだ。
まして、こんなアホな政権の時こそ、議員の本分をしっかり示すことが国民の信用を得るいい機会であるにもかかわらず。
まぁ、阪神大震災の経験を生かした法律ぐらいが上程されている程度で、本当に遅遅として、能なしの集まりかと憤る。
チェルノブイリの時には、ウクライナ、ベラルーシ、ソ連が素早く、動き、かなりに人々を強制避難させた。恐らく、研究者と技術者が核物質の恐ろしさをよくわかっていたからだろう。
何度も、核実験しているようなお国柄だから、日本のように被害者であり、占領下で研究に輪っかをはめられていた立場とは全く違う。
よく、日本は被爆地であり、長崎や広島で研究が進められてきたから、福島県の健康も守られるはずですなんていうバカものがいるが、こんな程度でよく政治ができるなと思う。
少し考えれば、あの広島、長崎の原爆と、今回の福島原発事故は、まったく似て非なるもの。爆発による熱風によりほとんどの方が丸焦げ焼け爛れて亡くなった原爆と数度の爆発があったものの熱風や熱線があったわけでもない原発事故とを同列にみなす愚かさ。
そんな知識は何の役にも立たない。ひとつ言えることは、わずか数百グラムの放射性物質が飛散しただけの広島・長崎でさえ、何十年にもわたって、原爆症というとてつもなく、無間地獄が続く苦痛を人々が味わったということ。
福島は、何トンにも及ぶ核物質が今も燃え続け水をかけられ、水蒸気とともに、広島の長崎の何万倍もの放射能物質が吐き出され続けているということ。となると、どれだけの原爆症患者が生まれるか、察しがつくはずだが、政治家のほとんどは、放射能による被害は、広島長崎の方が酷いの勘違いしているのだ。
嘆かわしいかな。科学的根拠なき思い込み。そして、最悪なのは、その長崎大学や広島大学の重鎮たちが知ったかぶりで、福島の地に赴き、安全神話を振りまき続けたことだ。福島県下は、未だに除染が整わず、トンデモナイ数値を我慢されられるという事態。逃げることも許されれず、ベラルーシならとっくの昔に進入禁止になっているようなところで生活し続けているのである。「直ちに健康には影響はない」ことは間違いないが。


2011年7月25日月曜日

卓見 30年前のルネ・ユイグVS池田大作対談 「闇は暁を求めて」

原子力問題というのは、長らく議論はされてきたが、
広瀬隆氏をはじめ、いわゆる反原発論者と左翼が結びつくイメージが払拭できず、
あの安保闘争と同様、大多数の一般市民から隔絶させられる傾向性があった。
いわゆる、反原発を叫べば「アカ」とレッテルを貼られるというのが、電力会社を始め、
マスコミの思い通りであった。
いまでこそ、広瀬隆氏の言論がまともに、聞こえるが、原発安全神話が浸透しているときには、彼の本もトンデモ本扱いであったことは誰しもが認めるところであろうと思う。
しかし、事実は、違った。広瀬隆氏は、的確なデータ分析に基づいて、福島原発を始め、日本の原発54基がまさに、世界一の地震大国の日本の中に密集させれていることを、ずっと指摘していたのである。

そして、もう一方、公明党の支援組織でもある創価学会もまた、世間からは、忌み嫌われ疎んじられる傾向があるが、この組織も戦後、一貫して核廃絶を唱えてきたことは、あまり知られていない。

世界各国で「核の脅威展」を行い、しかも、核大国であるソ連や米国でも行ったというのは、驚嘆に値する。その池田氏がフランスのルネ・ユイグ氏との対談の中で、原子力発電所の問題点について、指摘をしているとのブログを発見した。氏の考えは「原子力発電所は中止すべき」との考えだ。以下、転載させていただく。

先日の朝日新聞では、脱とも推進とも言わない自民党、公明党への懸念記事が載っていたが、公明党は、少なくとも核廃絶を進めていると聞いておるので、決断はいの一番にできるはずなのだが、政治の世界は、スムーズに「イカンざき」ということなのだろうか?(笑)

共産党や社民党のようなご都合主義で反原発を叫んでいるのとは違う、より現実的な方法で自民党や公明党は、シフトをはかってもらいたい。福島原発がこれから事故収束まで最低でも10年、その後も、処理に数十年。核廃棄物が無害化するまで、10万年かかることを思うと、もう日本に原発は要らないと私は思う。国民の大多数が豊かで贅沢なエネルギー消費の社会よりも、まずは、命が守られる心ある社会を望んでいるのではなかろうか。



shishinokoさんのブログ


http://amba.to/mzGcVL


2011-06-25 11:01:00

「原発について」公明党創立者池田大作氏。ルネ・ユイグ氏(フランス)との対談にて(1981年)

テーマ:ブログ
公明党創立者池田大作氏とフランスの世界的美術史家ルネ・ユイグ氏との対談『闇は暁を求めて』(講談社版、1981年10月発行。聖教新聞社版「全集」第5巻収録、1989年5
月発行。)より。
 
さて、石油の枯渇にそなえて、それに代わるエネルギー資源が現在探求されていますが、その第一候補と目されているのが核エネルギー、原子力エネルギーです。これについては、あなたのお国のフランスでも、相当、力を入れていると聞いています。しかし、原子力エネルギーは、石油の場合よりもずっと恐るべき汚染をひきおこす危険があります。私がここで提起したい問題は、人類は今後ますます大量のエネルギー資源を必要とすると考えることが正しいかどうかという点です。
 
物質的欲望の追求を正しいと認める観点に立てば、これは正しいというべきでしょう。しかし、もし、この大前提から問い直すならば、エネルギー消費も減少の方向に向かうことが可能であるかもしれないのです。そうしたエネルギー消費の減少をめざしたうえで、汚染を生ぜず、しかも枯渇しないエネルギー開発に取り組むべきだと思います。
(講談社版44ペ-ジ)
 
私は、資源全般の消費に対する考え方の転換が全人類に徹底されなければならないと訴えるとともに、とくに原子力エネルギーの問題は、過去に人類がぶつかってきたいかなる問題とも質を異にしていることに気づくべきだといいたいのです。つまり、蓄積されている量がある限界まで達しなければ無害か、有害であっても致命的ではないのが、核以外の物質の汚染でした。 
 
ところが、原子力エネルギーの廃棄物の場合は、それがどんなに少量であろうと、かならず致命的な害を及ぼします。
その意味で、原子力エネルギーの開発と実用化は、その目的がたとえ平和利用であっても、慎重に考慮すべきであると考えます。
 
そして、もし、絶対的に、永久的に安全な、廃棄物の処理法が発見されれば、そのとき初めて利用を再開してもよいと思います。しかし、それまでは、いったん中止しても、危険な廃棄物を生じないエネルギー資源の開発、循環可能で枯渇の恐れのないエネルギー資源の開発に、現代科学の総力を傾注して取り組むべきである。
(講談社版53ペ-ジ)

毒舌ブログ再開宣言 もう我慢できません。

とりあえず、はじめてみようと思って、ちょこちょこ書いていたのだが、
すっかり、飽きてしまって、そのまま放置していた。
しかし、いくら何でも、ひどすぎる民主党の流れ。
平松市長を担ぎだして、ええどうなってるのとの思いで、書いたブログが最後だったとは。
あの頃から、民主党の勘違いが始まったのかもしれんなぁ。
平松市長は、いまは、立ち位置を民主党からずいぶんシフトした賢い選択になったが、
国民は、残念ながら、ボンクラの民主党の国会議員に多数の議席を与えてしまった。
情けないやら、意志薄弱やら、団塊の世代の変えたい願望「政権交代」にすっかり夢見心地になってしまった感がする。
鳩山政権、菅政権、その後継者がみつからず、菅ちゃんは居座る。
震災復興はままならず、県に丸投げ、仮設住宅はお盆には到底間に合わず。
その不備も多数指摘されている。
最悪なのは、原子力発電所の事故が止めど無く酷いことになっているのに、
未だ、放射能汚染の実態が明らかでないこと。
人命優先ではなく、省益優先の経産省の餌食にしようというだろうか?

というわけで、毒舌を再び開始する。丸4年ぶり。
再び市長選が始まるころと相成りましたが。
いろいろ毒を吐きながら、日本の政治の闇に一言申し上げますので、お聞き苦しいとは思いますが、よろしくお願いいたします。